9月3日(土)鹿沼市による「鹿沼城跡発掘調査現地説明会」に参加してきました。
前日9月2日に市役所でこのチラシを見かけ、興味をそそられて。
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当日8時から現地で整理券が配布されるということで、3日(土)8時に6歳の娘と市役所に到着。
整理券番号17、18番と、まあまあ人が来るんだなあ、という印象です。
1時間今宮神社や周辺を散策したり、入口付近には発掘された器を見て過ごしました。
発掘された器は16世紀安土桃山時代のものだそうです。
安土桃山時代といえば、織田信長、豊臣秀吉、関ケ原の戦いのあった時代。
千利休を筆頭に、茶の湯や茶碗の熱もすごい時代だったことでしょう。
そのころの鹿沼市では、侘び寂びの文化はどのようなものだったのでしょうね。
今のようにリアルタイムでの流行を知る術はなく、京都で千利休が「これいいね」と言っても、その声が届くのに数日〜数週間かかるだろうし、口伝でありのままには伝わらないでしょうからいろいろ変わってしまうでしょうね。
そもそもその声が届いていたのかは疑問ですが。
鹿沼城跡で出た器は漆塗りの木製椀やかわらけだったようで、茶の湯系の器は見当たりませんでした。本丸の近くを掘ると、また違うタイプが出てくるのでしょうか。
今回展示されていた器はこのようなものです。
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その後今回のメインイベント、障子堀の説明会に。
障子堀は長さ16m、幅8〜9m、深さ1〜1.8m。
堀の中には南北1本、東西3本の障壁が確認されています。
堀に水が張られると障壁は見えず(実際にはどうだったか不明)、敵兵は一人ずつ畝を歩いたり、段差でつまずくなど、侵入はとても困難なものになるそうです。
さらに堀底は粘土質で滑りやすく、壁面は赤土でポロポロし、そういったことでも防御力を高めていたんだとか。
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こちらは旧庁舎の基礎の残り。当時まさか鹿沼城の障子堀に基礎を打ち込んでいるとは思いもしなかったでしょう。また水が湧いているらしく、吸い上げないとすぐに水が溜まってしまうそうです。
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滑りそうな堀底。
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このような堀は広範囲に広がっているらしく、もし掘れれば様々な発見があるのかもしれませんね。
でも現在はこの市役所を始め、野球場、病院、小学校、栃木県の庁舎などが建っていることもあり、少なくとも私が生きているうちにその全貌を見ることはないでしょう。
今回はとても貴重な体験をさせてもらいました。
あと帰り際に下野新聞に取材していただき、「こんなのが埋まっていたなんで驚きました。」とコメントしたところ、翌日の紙面に名前付きで掲載してもらいました。
もっと知的でウィットに富んだコメントをしたかったですが、これが精一杯です。